記録の中にある記憶

撮り続けた「記録」の中にある「記憶」を書き連ねます。

D51 200「復活の狼煙」

105.jpg
今年の11/25から復活するD51 200。
昨年秋に起こした重度の軸焼けから立ち直り、今年の5月に本線試運転を行った後、12系を牽引しての保安装置系統の試運転を終えて山口へ向かい、山口線で35系を牽引しての試運転…とまでは快調でした。

106.jpg
しかしその後、またしても軸焼けを起こし、10月に梅小路に「帰ってきてしまった」わけですが…
車軸新製交換レベルの重度の軸焼けではなく、修繕で足りる程度だったことが幸いし、修理は半月で完了。再起動し、今度こそ「復活の狼煙」を上げたのでした。

107.jpg
汽笛一声とともに起動。
煙室に風を送り込んで凄まじい噴煙を上げ、空気圧縮機もゴトゴトと動き出し、静寂に包まれていた扇形庫が一気に賑やかに。

108.jpg
蒸気圧が上がり、みるみるうちに機関車を覆う煙。タービン発電機を駆動し、点灯する前照灯。
煙がD51を包み込む姿はまさに幻想的であり、さながらオーラをまとうかのよう。

109.jpg
以前から違和感を持たれていた前照灯。
タービン発電機を電源電圧32Vを供給する旧型から、ATS-Pの保安装置の電源電圧24Vに対応した新型に置き換えた関係で、32Vで駆動するLP403から、保安装置と同じく24Vで駆動するLP405に置き換えた結果ですね。

110.jpg
スチーム号として構内運転に勤しんでいた時代のねぐらでもあった「扇形庫3番」。
二度の軸焼けから今度こそ立ち直り、堂々と佇んでいました。

111.jpg
スチーム号の入換が終わると、扇形庫3番から給水と火床掃除のためD51 200が登場。
迫り来る巨体、吹き出るドレンの白煙。堂々たる勇姿を来館者の前に披露しました。

112.jpg
キャブ回り。
新設されたATS-P取付車であることを示す「P」標記が新鮮さを、金の「梅」札が特別感を出しています。

転車台で回転中に汽笛を吹鳴。
山口へ行く直前までとは汽笛の音色が変わっており、今までは五室ベルでありながら他の西日本の五室ベル動態機(C62・C57・C61・C56)とは全く異なる非常に勇ましい音色だったのが、他の西日本の五室ベル動態機のような音色でありながら、それでいてどこかD51らしい勇ましさを残す、重厚な汽笛でした。

113.jpg
終了後は扇形庫3番に戻り、扇形庫4番に入った8630と並ぶ姿が。

約1か月後に迫ったD51 200の本線復活。
この後は期を見て構内試運転を行い、順調であれば山口へ再び戻ることになりますが、うまくいってくれるでしょうか。

中原中也号…?

81.jpg
15日のこと。
初めて35系のやまぐち号に乗りに行ったわけですが、ヘッドマークがまさかの詩人「中原中也」。

86.jpg
中原中也生誕110年・没後80年の節目ということで開かれたイベントに合わせてのものだったそうで、初乗車がまさかこんな形とは。

98.jpg
ご自身もまさか没後80年でC57に自らが掲げられるとは思いもしなかったでしょう…。

急激に数を減らす10系。

78.jpg 次々と導入される30000系に追われるように急激にその数を減らす10系。
チョッパ車から検査切れ順で置き換えが進んでいますが、10月に入って1115が31607にバトンタッチしてその姿を消し、こうして並ぶ光景も今では珍しいものになっています。

79.jpg
戸当たりゴムの付け根や扉窓の周囲がゴツゴツした古めかしい扉を備える1桁台の初期車編成は1109が今年7月に姿を消し、既に全廃。
現在残っているのは1110~1113・1116の5本。1105~1116までの12本がいた更新チョッパ車は今や半分以下にまで減少し、既に壊滅寸前。

77.jpg
チョッパ車は壊滅寸前ですが、モーターを三相交流に、制御装置をVVVFインバータに更新した「10A系」は10編成全車が健在。
しかし、30000系が今年度4編成(40両)、来年度以降2020年度末までに11編成(110両)が既に川崎重工に発注され、最終的に21系をも上回る全20編成が出揃います。
今は当たり前のように見られますが、チョッパ車全廃後は10A系の淘汰に踏み切り、北急新箕面延伸開業の2020年度をもって全廃…と考えるのが自然でしょう。

しかし、「大改造してまだ10年も経ってないのに置き換えなんて無駄じゃない…?」と思うかもしれませんが、どうやら10A系に改造した編成から取り外した制御装置を古い更新チョッパ車に再利用したそうで、全体の延命に成功したとのこと。
電機子チョッパ制御+直流モーターからVVVF+三相交流モーターへの機器更新は「この段階で別の新しい装置にしないと持たなくなる」という判断もあったのでしょうし、無駄ではなかったのではないかと。

長く御堂筋線の顔として活躍した10系。その終焉は、意外にもすぐ近くの所まで来ています。

呆気なく消えた阪和線の103系。

盛大な見送りで環状線から去り、今度は奈良線・大和路線からも去ろうとしている103系。
まさか関西でそれなりに103系が幅を利かせていた阪和線から真っ先に消えるとは思いもしませんでしたね。

66.jpg
和田岬線への転属を前提に回送されたと話題の837-846(HK607)。両端だけ40Nで当時はハズレ扱いされていた記憶が。
阪和線で最後まで残ったのはデジタル列車無線に対応した3本のみでした。
(HK603・607・609)

70.jpg
デジタル列車無線に対応しなかった編成は今年3月末までに全て離脱。この段階で既に終わった感がありました。
今はともに宮原にいる829-148(HK605)、844-244(HK608)。この頃は青い103系同士が並ぶ光景が当たり前のように見られました。

69.jpg
関西型らしいともいえる、見事なまでの編成美のなさ。
HK605は初期型のボロクハを先頭に40N2両、30N3両が連なる3形態混在の編成でした。

68.jpg
一方でHK608は全ての車両の更新形態が揃う「オール30N」で抜群の編成美を披露。
他にも真っ先に離脱した日根野生え抜きの825-832(HK604)、835-842(HK606)もオール30Nでしたが、HK608はたった2両しか改造されなかった「低運30N」が和歌山側に組まれていました。

65.jpg
動けば話題になり、さらに快晴ともなれば駅端には黒山の人だかり。
両端ボロクハな上にさらに編成全車ベンチレータ残存で、一昔前に見られた形態をそのまま残し、絶大な人気を誇った115-116(HK610)。

67.jpg
両端クハは阪和線から一度も離れたことがない生え抜き車。
こういった光景を幾度となく繰り返してきましたが、12月の下旬に離脱して以降、ずっと鳳で日干しにされています。

71.jpg
HK610の離脱と時を同じくして一掃された4連車。
昼間帯の運用をすべて6連に取られて以降、朝夕のみと非常に地味な最後でした。

72.jpg
4連車といえば、2016年春に車両不足が理由で発生した「青4+4ユニバ臨」もありましたね。
4連車を2本連結した8連で環状線エリアを走り、大きな話題となりました。
(後ろの193-182は塗装や所属表記を日根野車に合わせて擬態した奈良車ですが…)

2016年冬頃は当たり前のように見られた阪和線の103系。
当時はここまで呆気なく消えるとは思ってもいなかっただけに、本当に驚いたものです。

乗れる機会も撮れる機会も増えたもの。

57.jpg
最近網干から全般検査を終えて出てきた「大サロ」ことサロンカーなにわ。
最後の客車ジョイフルトレインはこれからもしばらく動きそうですね。

62.jpg
2016年4月の「晴れの国岡山DC」の際のもの。トワイライト色のPFがさながら大サロ専用機のようなマッチングの良さ。
この組み合わせは結局この1回だけ…でしたかな?

これ以外にも個人団体による貸切で「姫路機関区製なにわ純血ヘッドマーク」や特別モノのヘッドマークが出た貸切が走ったりと、最近は割と高い頻度で動いていて撮れる頻度もそれなりにありますね。

58.jpg
欠かせないのが日本旅行主催のツアー。
こちらも撮ることはできますが、なんといってもツアーで企画が設定されたおかげで乗ることができる機会がかなり増えました。しかも趣味者向けの企画で、行程は面白く、なおかつ一部は乗ることも撮ることも可能な上に共通して記念品も盛りだくさんと、なかなか楽しめる内容になっています。
個人貸切ではとてもじゃないが行けない区間にも乗車可能な点は最大の魅力ですね。
(例:サロンカーあかつき・サロンカーだいせん/出雲)

59.jpg
45度刻みで自由に角度設定ができるリクライニングシート。
これを円卓状に向かい合わせにして収納棚からテーブルを持ってきてわいわいすることも、ただ窓側に向けて車窓を楽しむことも可能。
自席だけでも十分楽しむことができますが、なんといっても特徴は…

60.jpg
やっぱり大人気の両端の展望車でしょう。

61.jpg
機関車の真後ろで眺めるもよし、最後尾から流れる景色を楽しむもよし。

ただ…趣味者向けの一般募集列車の宿命なのでしょうか。
参加者が同じ趣味者とはいえ一匹狼の集いのようなもの。「サロンカーだいせん/出雲」では、残念ながらこんなこともありました。

64.jpg
張り紙3枚。
既に入る前から物騒な展望車(1号車)入口。

63.jpg
見えるところに堂々と貼られた「占有はご遠慮ください」の張り紙。
過去に長時間の占有行為が横行し、その対策として張り出されたのですが、それでも従わない特定少数は平然と占有を敢行。

実際に私も「深夜の餘部鉄橋を半室サロンから見れたらなー…」などと考えて友達と一緒に見に行ってみると、半室展望者の入口の扉越しに見えた光景はなんと深夜だというのに馬鹿騒ぎしている集団。
「フリースペースを宴会場を勘違いしているのか…?」
あまりのおぞましさに何も言葉を発することなくアイコンタクトで撤収の意思を伝えて即時撤収し、自席から暗がりの車窓を楽しんで寝ることにした記憶があります。

最終的に私も復路で添乗員に密告。
既に山ほど同じような報告を受けていたとのことで、その後堪忍袋の緒が切れた添乗員によって対策がなされるわけですが…

「既に我々はあなた方が始発から占有しているのを知っています」との旨を警告する放送が車内全体に。
それでも退かなかったのか、「展望車の座席そのものを物販の列にして強制退去」
そして「居座りを防ぐためか浜坂停車中に両端の展望車を締切」
最終的に「時間を区切っての交替制」にまで発展。
程度に合わせた規制は必要ですが、あまりにも酷すぎた以上はここまでするしかなかったのでしょう。実際ここまでやりたくなかったんだけどな、という話は聞きました。

後のツアーでは展望車における禁止事項は存在するものの、最初から張り紙をなくしたうえで「名所通過時を除き号車毎や時間を区切っての交替制」にして、手間がかかるものの、皆が平等に楽しめる空間づくりに尽力されているようです。これなら展望車でものんびり落ち着けるでしょう。

今後は12月に「あさかぜ」があるようですが、これだけ環境が整備されていれば安心して乗れそうです。
ちょうど乗りたくなった頃ですし、申し込んで乗りたいところ…。